コンピューターミシンがメインの現代でも、使う機能の殆どが直線縫い。そして80年程前のミシンでも十分な機能がついていて、縫い目が綺麗。厚地も現行ミシンよりも対応している。
今は押え圧調節がないミシンも結構あるなか、この時代のミシンはほぼ例外なく押え圧調節がついている。
糸調節もできて、送り歯ドロップが出来る。
ボタンホールもアタッチメントが80年くらい前からある。
モーター駆動の電動ミシンが100年以上前からあるとなると、ミシンの根幹部分はほぼ変化がないことになります。
さらに今のミシンは部品の耐久性がなく、壊れやすいとなると、この何十年の進化の過程って本当に必要なものなのかという気がしてくるのです。
もちろん刺繍縫いやコンピューター制御機能などはその進歩の特徴的な部分ですが、多くの人にとって必要かどうかはわかりません。模様縫いをする場合も、手縫いでもできますし、フリーモーション状態にすれば上手い人ならちょっとした刺繍縫いはできます。
コンピューターで全て制御してしまうものに慣れると、いざという時に何もできません。コンピューターはあくまで人間の代わりでしかないのです。
そういうミシンは機嫌を損ねるとうんともすんとも動かない。そして動かない理由が何かわからず自分では解決できない。複雑になりすぎて、普通の人は対処できないのです。
かつてのミシンのようにメンテナンスさえすれば、何代も引き継いでいけるという機械ではなく、数年で買い替えるスマホや携帯・PCのようなデジタル家電みたいになってきています。
私はデジタル家電の耐久性のなさや、頻繁に買い替える風潮には疑問がありますし、そういうものよりも多少不便でも最低限の機能を備えて、飽きのこない、古くならない考えられたデザインの長持ちする機械が好きです。
ミシンの本当のニーズはこういう長持ちする頑丈な直線縫いが綺麗なミシンという事になるのではないかと思います。いまだに職業用を欲しがる人が多い事からもそれは証明されています
模様縫いも最初は面白くて使うかもしれませんが、すぐに使わなくなる、
きらびやかな外観と、これでもかと言わんばかりの機能説明、便利で何でもできるスーパーハイテク刺繍ミシンに心奪われ、大枚はたいて買っても、直線縫いや実用縫い以外ほとんど使っていない人も少なからずいるようです。
こんな事を思うと、改めてミシンや機械の進化・発展について考えさせられるのです。
進化は必ずしも皆に必要なものではなく、一部の人のためになされていて、時には使い手ではなく、売り手のための進化である事も多いのだと感じます。
そして、長年同じものを使う人が切り捨てられていくのは何とも居心地が悪いです。
エコなんて言って体裁だけはよくしている企業が、どんどん資源を消費し、大量生産していくなんて本当は矛盾しています。何でも経済発展が優先される世の中だからしょうがないのでしょうか。
そういうミシンは機嫌を損ねるとうんともすんとも動かない。そして動かない理由が何かわからず自分では解決できない。複雑になりすぎて、普通の人は対処できないのです。
かつてのミシンのようにメンテナンスさえすれば、何代も引き継いでいけるという機械ではなく、数年で買い替えるスマホや携帯・PCのようなデジタル家電みたいになってきています。
私はデジタル家電の耐久性のなさや、頻繁に買い替える風潮には疑問がありますし、そういうものよりも多少不便でも最低限の機能を備えて、飽きのこない、古くならない考えられたデザインの長持ちする機械が好きです。
ミシンの本当のニーズはこういう長持ちする頑丈な直線縫いが綺麗なミシンという事になるのではないかと思います。いまだに職業用を欲しがる人が多い事からもそれは証明されています
模様縫いも最初は面白くて使うかもしれませんが、すぐに使わなくなる、
きらびやかな外観と、これでもかと言わんばかりの機能説明、便利で何でもできるスーパーハイテク刺繍ミシンに心奪われ、大枚はたいて買っても、直線縫いや実用縫い以外ほとんど使っていない人も少なからずいるようです。
こんな事を思うと、改めてミシンや機械の進化・発展について考えさせられるのです。
進化は必ずしも皆に必要なものではなく、一部の人のためになされていて、時には使い手ではなく、売り手のための進化である事も多いのだと感じます。
そして、長年同じものを使う人が切り捨てられていくのは何とも居心地が悪いです。
エコなんて言って体裁だけはよくしている企業が、どんどん資源を消費し、大量生産していくなんて本当は矛盾しています。何でも経済発展が優先される世の中だからしょうがないのでしょうか。
